元請 G株式会社


OK! こうじくん salesmanship practice story
元請 G株式会社

元請 E株式会社

OK!工事くん 今日も飛び込みセールスマンのお話しです。
雨が降り続いて止んだ後の深夜10時前、住宅街は何とも言えない静けさです。
お客様の家の近くに車を停めご主人様の帰宅時間を待っている私がいました。
張り込み……。 さながら刑事です。
今夜このお客様宅で契約をあげないとこけるという絶体絶命のピンチ。
そういう場面では少し緊張します。それは不安からくる緊張ではありません。
契約をとるという自分に対する責任感からくる緊張です。
大げさな話しと聞こえるかもしれませんが
本当にこけられない戦いを飛び込み営業マンとして実践しました。
リ-ダ-になればなるほどその意識は強く持たされます。
私の勤めた職場に明日頑張るという意識はありません。
日々決算なのです。
寝ても覚めても毎日毎日の結果に対する意地の張り合いです。
近寄って来る車のヘッドライトの灯りを見ながら
ひたすらご主人様の帰宅を待ち詫びている自分がいました。
深夜近くの住宅街、いくつかの家の灯りを見ると、俺もサラリーマン生活でもしていれば
今頃の時間は風呂にでも入って家族と楽しく話し合っているんだろうと思いつつ……。
ひたすら今日最後のターゲットを待っています。
言葉は悪いですが、追い詰められた時の自分の心の中には狩猟感覚が覚醒してきます。
お客様は獲物……。
昼間契約がとれず最終時間まで持ち越してしまったという焦り。
必ず仕留めなければならないという時の私の集中力はすごいものがありました。
スポーツでいうアドレナリンが自分の脳神経に分泌されてくる事を感じる時があります。
営業でアドレナリン? 本当に? と思われるかもしれませんがふつうの営業では出ません。
歩合でやる飛び込み営業だからアドレナリンが分泌されるのです。
今日契約をとる事が出来なければ一日働いて日当が0円だと思って下さい。
建設現場で重労働をこなし0円、考えられないでしょう。
そういう気持ちで飛び込み営業をやっていました。
単身赴任で家族を和歌山に残し働いているのは稼ぎたいという気持ちと
急成長している会社に自分の夢を託していた時期があったからです。
どんな状況下におかれても必ず1本のオ-ダ-契約を叩き出すんだという強い思いです。
これかと思っていると家の前で車を止めバックで車庫に入る1台の車。
心の中で帰ってきたと思った瞬間に外へ飛び出しご主人様の方へ走っていきます。
ご主人様が玄関のノブを掴み家の中に入ろうとした瞬間に声をかけました。
こんばんは! 夜分遅く申し訳ありません。
昼間奥様にお話しをして~云々と説明をしたところ。
ご主人様は困惑しています。 そして何秒か経過したところで状況を悟ったみたいです。
悪いが今夜遅いので次回にしてくれないかと返ってきました。
その瞬間切り返しト-クが炸裂「いや! そういう話ではないんです! ご主人さんちょっと聞いて下さい!5分10分でいいんです!」と私がト-クをぶちかましました。
お客様が断ろうとした瞬時に相手の気を制するト-クが放たれたのです。
そのまま一緒に玄関口から家の中へ入っていきクロ-ジングとなりました。
昼間奥様にしっかりクロ-ジングをしていました。
家の中に入って奥様にご挨拶を行いさっそくクロ-ジングです。
最後は奥様の手助けもあり契約は太陽熱温水器2台セットで決まりました。
お客様宅を出たのが12時前。 これから事務所に戻ったら深夜の2時頃……。
しかし報告をした時の支社長の嬉しそうな声に疲れも吹っ飛んだ気持ちです。
飛び込み営業マンにとって契約はビタミン剤です。
全ての疲れが癒されます。
最後に
全ての飛び込み営業マンにとって時間は平等に与えられます。
その与えられた時間をいかに有効に消化していくか、
そして最後の最後まで諦めないという気持ちが大事です。
私の体験談としてのこのブログ記事を書きましたが、
決めた獲物を必ず落とすという貪欲な執念が実を結んでいきます。
OK!工事くん 今日も飛び込みセールスマンのお話しです。
このBLOGは皆さんの参考になれるような記事だとは思えません。
まるで生き様ブログですね。
私が飛び込み営業マンとして転職をした時、29才の頃体重は63㌔でした。
それから役員として退職する15年後の体重は89㌔。
タバコ吸わない、酒飲まない、博打しない、お金トラブルとは縁なし。
女に関しては……。 これはもてるから仕方がありません。
営業マン時代に守れなかったのは酒だけです。
管理者としては酒が飲まないと務まらない職場だと言えました。
30才近くまで飲めない男が、狂人のごとく飲みだし血糖値が500を超えヘモグロビン値が12.3まで跳ね上がった時に医者から入院をしろとまで言われました。
それでも仕事を辞める事は無かった。
売上と糖尿病に悩まされ戦いつづけました。
今、現在は体重が67㌔まで戻し血糖値も115です。
ヘモグロビン値が6.6まで下がりました。
ただし、歯が前歯しか残っていません。 左右はブリッジでの固定と歯抜け状態になっています。
ハ-ドな職場環境の中、虫歯でない歯が抜け落ちていきました。
ここまで自分を奮い立たせてやってこれたのは本当に仕事が面白かったのと報酬です。
あの時代の自分は名誉と報酬に飢えていたように思えます。
エリートでない人間が何か打破していくためにも
エネルギーを爆発させねばなりませんでした。
それは負けたくないという男の意地しかありません。
まったくアホな話しです。
当時はそういう生き方になっていました。
社員が辞めていく……。
それは日常の風景でした。
入社初日の新人が朝の朝礼を終えると「すみません辞めさせて下さい。」
入社15分で去っていきます。 笑い話しのようです。
現地テリトリーで夜9時の集合に1人帰って来ない。
クロ-ジングで入宅しているものと思いつつ、11時になっても帰ってこない。
0時を回り。……。
心配になりそれでも待ち続けて深夜2時、
現地逃亡と疑いつつも待たない訳にはいかない。
翌朝自宅へ連絡を入れると奥様から寝ていますと答えられ安堵する。
まぁ事故でなかった事にホットしました。
2日後に制服と営業資料が事務所に送られてくる。
現地逃亡した社員から中に手紙が入っていました。
申し訳ありません。契約がとれない事への自信喪失と書いていました。
私はノルマという数字を意識したことはありませんでした。
またノルマのない職場でした。
しかし猛烈な競争意識が社内に充満していました。
会社は頑張ったら頑張った分だけ報われるシステムを構築しています。
飛び込み営業マンにとってはモチベーションがあがります。
社長はお金には綺麗でした。
社長は仕事に対する取り組みは厳しいが、
額に汗して頑張った社員に対しての還元はできる会社だったのです。
見方を変えれば世間でいうノルマだったかもしれません。
しかし、私はノルマだと意識した事はありませんでした。
今の時代だと全てパワハラになるでしょう。
私はパワハラも左遷も全て経験をしました。
全て肥やしになったと思っています。
いつから自分はこんなにも図太い男になったのかと感心します。
生きていく上で、男は摩擦を避けられない事がたくさんあります。
職場、組織が大きくなればなるだけいろんな人間模様がでてきます。
理論で説いていく必要も大事ですが権力という腕力をふ振りかざさないと前に進んでいかない現実もあります。
職場は玉石混交サファリパークのような職場です。
人間が集まって働いている限り多かれ少なかれパワハラはどこでも発生します。
パワハラのない職場なんてなかなかないと思います。
飛び込み営業マンにとっては全て結果が解決します。
人間関係のパワハラどうのこうのより如何に
数字を叩きだすかしか考えていませんでした。
上司に評価させようと自分に激を入れ働いていました。
参考にならない話しで恐縮です。
私の独り言でした。
OK!工事くん 今日もちょっと気になるお話しです。
トヨタの社長が「終身雇用は難しい」という記事が最近話題になっています。
いよいよ日本社会も変わりつつあるのかと心配する声が若い人の間でもあるみたいです。
若い世代からするとあのトヨタという事になるのでしょうか?
しかしトヨタはよく頑張ってこられたと思います。
若い世代の人達と違い、私たちの世代は金融機関の再編やバブル崩壊後の西暦2000年までの時期に大企業がバタバタ倒産していく姿をこの目で見てきているのでいまさら終身雇用云々は遠い昔の話しに聞こえます。
当時、山一証券、北海道拓殖銀行、長銀、カネボウなどの破綻があり、世の中には失業者が溢れていました。
会社が倒産しなくても毎朝新聞を読むとリストラの記事ばかりというありさまです。
会社は社員を守ってくれる事はないと実感しました。
世の中の厳しさを身に感じて生きてきたわけです。
バブル崩壊後の当時は非正規労働者が世の中に溢れて本当に
人生を台無しにした人達はたくさんいます。
それとは逆にバブル全盛の時期は非正規雇用を求める人達もたくさんいました。
世の中が景気がよくて会社の雇用にしばられたくないという人達です。
若い女性の方にもそういう働き方を希望する人もたくさんいました。
バブル崩壊後の非正規雇用とは随分中味が違いますが、
時代の景気によってこうも働き方の見方が変わるのかなと思います。
この日本の社会から終身雇用がまったくなくなるかは別として、
トヨタも個人も食っていかないといけない事だけは確かです。
私は単身生活18年を終えて和歌山に帰郷した時にこう考えました。
これからはできるだけ身軽になり、一人で生き抜く方法を考えようと思いました。
和歌山に帰った頃は48歳です。
地方での再就職を考えた場合、
給与も福利厚生も整った職場などあるはずもありません。
私にとって残された資格は目に見えない資格。= 販売するという営業です。
これだけで通用するのかと思いつつ、この年齢まで何とか生き延びてきました。
人間、誰も頼れないと覚悟を決めればあとは何とかなるみたいです。
人は強くないから常に誰かに頼りたい。
もしくは会社に頼りたいという気持ちになっていきます。
私なんかは失うものなどないという気持ちになってから、
逆に強くなったような気がします。
案外そういう気持ちで仕事をしていくほうが上手くいくみたいです。
いつも心で思っています。
お前食えなくなったらどうする?
とりあえず明日から何か売ればいいだろう……と。
OK!工事くん 今日も飛び込みセールスマンのお話しです。
今日は記憶に残っている営業マンのちょっとしたエピソードを紹介したいと思います。
東京の恵比寿に6階建ての自社ビルがあり
そこに60人ぐらいの飛び込み営業マンが在籍をしていました。
営業統括本部の部署もそこに置いていました。
24時間風呂という商品をガンガン販売をしていた頃。
商品名 環境大臣 販売価格258,000円(税込み)
この商品だけで年間170億ぐらいの売上があったと思います。
24時間風呂でトップセ-ルスマンをあげろと言われれば
当時は石井、大竹、谷村の3人が記憶に残っています。
石井君のお話しは以前ブログにも書いていますが、
本日は大竹君のお話しをさせていただきます。
もと帝京高校サッカー部でキャプテンも務めた男です。
彼のもつ雰囲気は育ちの良さが顔にでています。
ス-ツを身にまとっていればエリート銀行員か商社マンというイメージです。
普段は大人しくてもの静かな男。
けっして自分の我をむき出しにして俺がというタイプではまったくありません。
ただ現場に出ていくと午前中の10時すぎぐらいからオーダー報告をしてくるのです。
朝礼が終わり先ほど事務所から出て行って1時間も経っていない中で、
受話器をとると静かな声で『大竹です。オーダーをお願いします。』
淡々とした調子で月に平然と60本ぐらいの契約をサラッと計上してきます。
この男にはスランプがないのです。
調子が悪いなと思っても45本~50本。
特別な月では80本という驚異的な数字も叩きだしてきます。
サッカーでいうと足さばきがめちゃくちゃ上手い得点能力の高い男でした。
24時間風呂では石井君よりも強かったかもしれません。
石川君は太陽熱温水器をやはり60本ぐらい売りさばく当時のスーパースターでした。
大竹とは違い大口を叩くのが彼の持ち味で、またそれが面白いキャラクタを醸し出しています。
憎めない男それが石川君でした。
現場での石川君はマシンガントークが炸裂するすごい勢いでオーダーをとりまくっていました。
その石川君がある事情で入院した時のエピソードです。
誰しも彼の営業活動がストップになり残念がっていました。
そんなある日、入院先の病院から支社に連絡が入ります。
申込書とクレジット用紙5,6枚持ってきてくれとの依頼です。
車椅子で点滴を受けながらのオーダー報告です。
談話室で商品資料も持ち合わせないなかで契約をとったとの事でした。
それですぐに申込書を持ってこいと催促の連絡をしてきたのです。
彼のやる気を見せつけられた伝説のエピソードです。
松山支社から和歌山支社に山下という男が転勤で赴任してきた時のエピソードです。
毎朝恒例の朝礼が終わり、チ-ムの2人が残り山下との合流を待っていました。
午前10時に到着する予定が遅れていました。
その時1本の電話が事務所に入ります。
『山下です。オ-ダ-報告をします。』 事務所にいる管理者も事務員も唖然としました。
遅れてすみません。ちょっと早く到着したので事務所近くで散髪をしていましたが
ついでに手土産としてオ-ダ-報告もしますのでよろしく!
赴任先へ挨拶代わりの1本の報告をしてきた男でした。
OK!工事くん 今日も飛び込みセールスマンのお話しです。
飛び込み営業マンのプライド3つ
飛び込み営業マンにとって、どのような商品を販売するかは大切なことです。
自分が思い切って販売していく為にも、販売する商品に商品力がなければなりません。
もう一つはトップセ-ルスになる為には人間力が試されます。
優秀な飛び込み営業のトップセ-ルスは群れる事を嫌います。
仲間と傷の舐め合いはしません。
会社批判などの愚痴を言っている暇がありません。
如何にして歩合を稼ぐかその事しか頭にはありません。
常に孤独です。 が寂しいとは思っていません。
他人とは違う次元を夢見ています。
他人との競争もしていますが、
たいてい神経をすり減らしているのは自分との闘いです。
今日売れても、明日売れる保証はありません。
見た目はハッタリを利かしていますが、いつも不安で臆病になっています。
夜は疲れ果ててベッドに入るとすぐに眠ってしまいます。
地獄の底まで落ちていくような眠りの中で幸福感を味わいながら朝を迎えます。
朝、目覚めたら、不安という悪魔がささやきます。 今日売れるか…?
雨の日はなおさら不安が大きくなります。
今日は果たして上手くいくだろうか?
売れるだろうかと……。 毎日不安です。
その不安を少しでも無くす為に、テリトリー設定を慎重に行います。
朝礼が終わりテリトリーに向かう車中では仲間と無駄口をたたきません。
地図を見ながら、今日向かうテリトリーでの展開をイメージします。
それ以外は無駄なエネルギーを消耗したくないからです。
訪問活動が始まれば貪欲に獲物を狙い行動をします。
その時間が唯一不安のない時間と思えるのです。
そういう経験、体験を通じて人間力が養われていきます。
日々の実績が言葉に圧倒的な力を持たせます。
仲間との会話、お客様に対しても同じです。
有無を言わせない雰囲気を醸し出していきます。
この話は売れている奴にしかわからない話です。
OK!工事くん 今日も飛び込みセールスマンのお話しです。
飛び込みセ-ルスはアポなしの即断即決を基本としています。
一人営業の場合は自分でテリトリー設定を行い
アポを後日に残していく事もできますが。
チ-ムリ-ダ-のテリトリー設定で動いている場合、
その支配下の社員はアポを後日に残しておくことができません。
そうなると即断即決が求められます。
販売する価格にもよりますが50万以下の
価格であれば奥様でも契約をとる事は難しくはありません。
いや、むしろ積極的に奥様契約をとっていただきたいと思います。
①営業マンの意識、先入観を改める。
飛び込み営業マン、
あなたですが主権者(決定権者)はご主人様゛だと思っている
先入観をもっていれば改めてください。
まずは出会った人が決定権者だと思い行動をして下さい。
②家をさわるリフォーム案件は避ける。
増改築、外壁塗装、太陽光発電システム、システムバス、蓄電池などの
高額商品の提案をする場合は夫婦揃ってのクロ-ジングが理想的です。
③単品商品価格50万前後までが理想的。
比較的低価格品を提案する場合、
例えば美容関連品、健康食品、保険、水関連品、お湯関連品など。
どうせ奥様相手だからそこそこの話しで、
あとはご主人様につなげてもらおうと
思っていたならば奥様契約とれません。
当たり前ですよね。
私の体験談ですが、
よく奥様からこう言われました。

私からご主人様に説明をしましょうか?

決めるは私よ!
低価格品の提案であれば全力で説明を行い、
この出会った奥様が決定権者だと思いクロ-ジングをしてください。
しかし攻めた攻めたけど……微妙な雰囲気。
その時は無理押しは避ける事。
それでも落ちない場合は当日の夜のアポに設定をしてください。
ここがポイント!
奥様にクロ-ジングをしていると何となく
これ以上は難しいと顔の表情や返ってくる声の音色でわかる時があります。
それでも契約書を書いていただき契約ができたとします。
残念ながら翌日にキャンセルがきました。
よくある話です。
その時に奥様に愚痴をこぼしてはいけません。
奥様に感謝の言葉を捧げましょう。
奥様はあなたの為にご主人様にお話しをして断られたとの判断です。
もしくはあなたが玄関口から出た瞬間に冷めたのかもしれません。
何にしろ。
あなたは全力でクロ-ジングをした。
奥様もその気持ちを買ってくれた訳でのキャンセルです。
奥様に感謝する事が大事です。
それがsalesmanshipです。
元請 L株式会社

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OK!工事くん 今日もちょっと気になるお話しです。
2019年7月19日 大黒摩季の和歌山コンサートに女房と行く事になりました。
女房が大黒摩季ファンで女友達とこのコンサートにいく予定になっていましたが、
突然、友人が入院する事になりピンチヒッターとして私の当番となりました。
内心、大黒摩季か……と思いつつ。
矢沢永吉だったら喜んでいくのにな、
ぐらいの気持ちで女房と和歌山県民会館へと向かいました。
最近、あまり名前も聞かないし
コンサート会場もあまり人が入っていないだろうと思いつつ。
1時間前に会場に着いた訳です。
うん? なんか人が多い、私の疑いはまったく外れて会場は超満員です。
開演と同時にいきなり全員総立ち3時間。
盛に盛り上がってガンガンのコンサートになりました。
見渡せば周りは昭和生まれの観客ばかりです。
大黒摩季も50才という年齢で圧倒的なパフォーマンスで私達に鼓舞します。
おばちゃんパワー炸裂のコンサートになりました。
ここで少し、話が変わるのですが、
コンサートは1部2部の開演前に大黒摩季の
販売ビデオをステージ会場の大きな映像で見せられる事になります。
えっ! いきなりこれかいと笑いながら最初は観ていました。
大黒摩季の上半身背中部分が露出したバスタオルが5000円以上したものから
小物類まで楽しめるグッズの一つ一つを大黒摩季がセ-ルスするという映像です。
1部開演前、最初は冷ややかに見ていた観客でしたが
2部開演前の映像では和みに変わり欲しそうな雰囲気で見ています。
1部でのコンサートはフルスピードでガンガン飛ばした後、
トイレ休憩を挟んだあとのセ-ルス映像です。
観客は熱気から少し開放された気持ちになった中で、
ロッカー大黒摩季は違う設定でセ-ルスウーマンになりセ-ルスを演出しています。
メガネをかけビジネスス-ツでさりげなくセ-ルスを実演します。
それから2部に入り。
また2部は度肝を抜く演出でAIの世界から人類を救うという
コンセプトで無事コンサートを終えました。
観客は全員興奮冷めていません。感動 感動のコンサートで幕は閉じられました。
帰りはそのグッズがバンバン売れていました。
観客は興奮した酔いがさめない中でグッズを求めています。
ベテランロッカー歌手大黒摩季の生き様を見せられた思いです。
たくましいなぁ。
やるな大黒摩季。
コンサートは50才の彼女が最後は足がもつれるようなところまで自分を追い込んて゛歌いまくり。
その生き様に感動すら覚えます。 あのハイヒールでよくあそこまで全身で歌える。
観客は感動するしグッズの一つでも買いたくなるファン心理です。
飛び込み営業マンも同じです。
相手を感動させる営業をやるべきだと思いました。
歌手になり、ある程度の名声を得た人間だったら売り子はやりたくないと思う。
大黒摩季も同じでしょう。
しかし、人生の修羅場を経験してきた
大黒摩季は自ら先頭に立ちチ-ムの生活を支えているのです。
綺麗ごとでは飯は食っていけません。
やはり売らないとダメなんです。
好きな歌も会場が満員になってこそ夢が継続していくのです。
会場で彼女からこういうお話がありました。
18才の頃、北海道から自分は天才だと思い東京へでてきたが、
東京では凡人だったと言われて何度も心が折れそうになったと言っていました。
アイドル歌手が全盛期の頃、歌いたくない歌もサイボーグになって歌ってきたと……。
それでもあきらめずに心はロッカーだと信じてやってきたと言っていました。
その彼女の生き様が会場を満員にしているのでしょう。
また大黒摩季に会いにコンサートにいきたいと思わずにいられません。
恐るべしsalesmanshipをもった彼女でした。
本当にこの夜は彼女から勇気をいただいたと思っています。
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